政治的勇気

2018年07月12日(木)一般教養 

『The Satanic Verses 悪魔の詩』を書いて、当時のイラン革命のリーダーであったAyatollah Khomeiniの命令で死刑宣告をされ、イスラム教徒に命を狙われ続けてきたSalman Rushidie。

現在はAyatollah Khomeiniが亡くなったため、彼への死刑宣告が取り消せずそのままになっていますが、イラン政府としては特にこのことについては言及するつもりは現在ではないようです。

そんなSalman Rushidieが以前書いた記事に興味深いものがありましたので、以下に概略を引用します。

 

政治的勇気|一般教養|ルシディチュード-灯台教養学部

 


政治的勇気

「政治的な勇気というものは、昔は称賛されたが今では警戒されている。今日のように混乱した時代では、肉体的な勇気というものはわかりやすいが、モラル上の勇気というものは理解しづらい。

現在では、ネルソン・マンデラか、アウンサン・スーチーを除いて、政治の世界で勇気があるとみられる人はいない。権力の必然的な妥協というものをあまりにも見すぎて、われわれはシニスムに陥ってしまったのかもしれない。

今日さらに不思議なことは、こうした権力の乱用や独善にたいして戦おうと立ち上がる人に対して、われわれが警戒心をもってしまうことだ。作家も、インテリも含め、昔はこんなことはなかった。

ソ連の共産主義に反対したAlexandre Soljenitsyne(作家)やAndreï Sakharov(物理学者)は尊敬の念をもって見られていた。スターリンをからかった詩人Ossio Mandelstamは「スターリンの髭が動くとゴキブリに似ている」と書いて捕まり、グラグ(強制労働収容所)に連れて行かれて死んでしまった。中国では、天安門事件で戦車をとめた勇敢な男は、世界中の勇気のシンボルになった。

しかし、今日では変わってしまった。

中国では、戦車の男は忘れ去られ、民主主義のために戦おうと立ち上がった人々は、権力によって告訴され、反革命的であるといわれている。

こうして再解釈される過程で、人々の心を混乱させるという理由で、勇敢ある人々が審判されなければいけない人々になってしまう。中国の権力者は常にこの方法によって、反政府の人々を過激派であったり、政府を転覆させようとしている人々として、国民の目に映るように仕向けている。 これはロシアでも同じことだ。

Pussy Riot(ロシアのフェミニスト・パンクロックバンド)が刑務所に閉じ込められているが、彼女たちはロシア正教の教会がプーチンと近すぎるということを批判したのであったが、そのことばは勇敢なことばであると捉えられずに、場違いなものであるという形でメディアによって伝えられた。

 パキスタンでは、Asia Bibiがキリスト教を擁護したという理由で、イスラムを冒涜したという冤罪となり、死刑判決をうけた。 これをうけて、Punjab地方の県知事であったSalman Taseerがその弁護にたちあがった。 しかし、Salman Taseerはボディーガードの一人に暗殺されてしまった。 そのボディーガードが裁判の場にあらわれたときに、裁判に出席した人々がバラの花を彼に投げつけて彼を讃えた。そして、暗殺されたSalman Taseerは、非常な批判をメディアから受け、世論も彼に対して批判的になってしまった。

サウジアラビアの詩人でありジャーナリストのHamza Kashgariは、Twitterで「自由に考える権利を主張する」という投稿をしたら、背教者としての批判をうけた。しかも、その後に投獄され、今も獄中である。世論は、彼に死刑を望んでいる。

フランスの啓蒙主義の時代には、Voltaire、 Diderot、 Rousseauなどのインテリの英雄たちがいた。しかし、わたしたちの時代には、サウジアラビアのHamza Kashgariを含め、フランスの啓蒙時代のようなインテリは存在しなくなってしまった。 そして、新しい世論ができあがり、保守的な正当性や不寛容というものに対して戦っている作家、大学人、芸術家は批判されるべき対象となり、理由としては彼らは人々の心を混乱させるものであるという思想がものすごい速さで広まっている。

そして、こうした考え方の行き着くところでは、こうゆうことになるだろう。

考え方の独創性や精神の独立性といったものを讃えたかつての時代の人々も、次第にこう言うようになる。

『お前座れよ。お前が立っていると、船がひっくりかえる。』

 私たちの時代は、さらに自分たちの自由の枠を少しでも広め、そのために危険を冒し、わたしたちの世界の見方を変えようとするそうゆう人々にとっては悲しい時代になってしまったといえる。 しかし、わたしたちは努力を続けなければいけない。こうした勇気というものは、本当に大切なものであるということを認識すること、そうした自由のために戦っている人々が、彼らのありのままの姿で認識されるように努力しなければいけない。

彼らの本当の姿というのは要するに、自由のために戦っている男女である、それだけのことである。 そのために、わたしたちはどうすればいいのだろうか?続けることだ。

 請願書にサインをしよう。抵抗運動に参加しよう。ことばを発しよう。どんなに小さなイニシアティブでも、それは必ず重要性をもっているのだ。」

 

Salman Rushidieの記事では、中国、ロシア、パキスタンといった日本とは政治的・宗教的背景の異なる国の具体的事例があげられています。しかし、これらの国々で起こった出来事の背景にある論理と、同じ論理が日本では全く適用されていないと言い切れるでしょうか?政治的イデオロギーや言葉に惑わされずに、実質やその内容を一人ひとりがしっかり吟味できるようになることが、一国の政治の熟成度といえるでしょう。

わたしたちは、政治的勇気を持っているでしょうか?



読後チェック

①政治的勇気とは、Salman Rushidienにとって何を意味しますか?

②あなたにとって、政治的勇気とは何を意味すると思いますか?



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