自分で判断しているか?|一般教養|ルシディチュード―灯台教養学部“すべての人の灯台としての教養を”

自分で判断しているか?

2017年11月20日(月)一般教養 

前回ネッカー・キューブの話で、我々がものを見るときですら、遺伝や教育・経験を通して形成されてきた脳内のソフトが我々の意思を無視して働いて目の前の物体を脳内で再構成しているということを示しました。

しかしさらに厄介なことに、この我々の脳内のソフトが(あるいはそのソフトをコントロールしている我々の潜在意識が・・・)今度は周りの意見に左右されて、我々の認識を変えてしまうということ見てみましょう。

 

ASCHの実験

ASCHというポーランド生まれのアメリカ人の社会心理学者の実験をご紹介します。次の図を見てみましょう。

 

 

右側にある3本の棒のうち、左側の棒と長さが同じものを選ぶという単純な実験です。もちろん正解は2です。目に異常のある人などを除けば、確実に全員が正しい答えを出します。  

 

そこで、ASCHは次のような実験をしました。

心理学上の認識の実験をするという名目で、7人の学生を選んで一つのグループとしてテーブルの周りに座らせます。

 

ここでさっきの図を示して左の学生から順に答えを言ってもらいます。ただそれだけのことなのです。ただし、ASCHは実験を始める前に、左から6番目のメガネをかけている学生を除いて、他の学生には実験の真の目的を話しておきます。つまりこの実験を繰り返すときに、第一回目・第二回目は正解の2を答えるように指示しておきますが、第三回目の時には真の目的を知らされている学生達は、澄まして誤った答えの3を言うように指示されているのです。

さて実験中に何が起こるか?

 

第一回目:6番目の学生含め、全員が正しい答え「2」を答えます。したがって何も起こらず、6番目の学生にとって世界は平和です。

第二回目:この時も6番目にこたえる学生の前の学生達は全員が正しい答えの「2」を答えますから、彼にとって世界は平和で、むしろ退屈な実験だと思い始めるでしょう。

第三回目:全く同じ実験が繰り返されるわけですが、どうしたわけか1番目の学生は、答えを「3」と言います。第6番目の学生は「おや、何か勘違いしたな、あの男は」と思うくらいで、自分の答えに疑問をはさんだりはしていないようです。

ところが、意外や意外、2番目、3番目、4番目、5番目と学生たちが「3」と答えるではありませんか。このころでは6番目の学生は心の中で完全にパニックをおこし、「僕は本当に目の前の真実が見えているのか?彼らの言っていることが正しいのだろうか?僕の頭がおかしくなったのだろうか?」と自問し始めるに違いありません。そのパニックに陥った様子が次の写真です。

 

ASCHによると実験の結果は次のようです。  

*75%のモルモット学生は、少なくとも一回は周りに同調して誤った答えを言ってしまった。  

*37%のモルモット学生は、自分の正しい認識を否定して、常に周りに同調して誤った答えを言った。  

 

 この実験を頭において次のようなことを考えてみましょう。    

あなたがこれから初めて人に会うとします。このとき、運悪く相手の人の周りには、あなたに敵意を抱いていたりマイナスの意見を持っている人ばかりだったとします。客観的に偏見なくものを見ようとする人でも、ASCHの実験にあるように、周りに同調して、その人の潜在意識には、あなたに対するマイナスのイメージが形成されているのです。  

 

厄介なのは次の点です。

まず我々の潜在意識に刷り込まれてしまった偏見は、我々の自己の存在そのものにかかわると言う意識があるのでその「偏見」を変えると言うことは、自己破壊につながるような恐怖や抵抗を我々は感じるのです。ですから、そうなるとあなたがやることなすことその人にはマイナスに見えるでしょう。というよりも、マイナスに見ることによって、その人は己の偏見を守ることによって己の自己を守ろうとするのです。そしてすべての現象は正と負の二つのアングルから見られてしまいます。

「親切な行為」が「でしゃばりで押し付けがましい行為」になるのはわけのないことなのです。「礼儀正しい」が「おべっかつかい」にもなるでしょう。

相手に偏見が根付いているとき、こちらがじたばたすればするほど、相手の偏見を裏付けるようなことを我々がやってしまうということにもなりかねません。

では、そんな状況に陥ったとき我々はどうしたらよいのでしょうか?

 

これに対してなせることは、“霧雨の理論”です。逃げるのでも、爆発するのでも、喧嘩するのでもなく、霧雨のごとく相手に伝えたいことを伝え続けること。

道元禅師はこれを「況や、無道心の人も、一度二度こそ、つれなくとも、度々重なれば、霧の中を行く人の、いつぬるるとをぼへざれども、自然に恥じる心もおこり、真との道心も起る也。」(道心なき人は、一度や二度、言っていかせても、なかなか言うことを聞かないものだが、何度もくりかえし言い聞かせれば、道心なき人でも、あたかも霧の中を行く人がいつ濡れたとも判らぬうちに濡れてしまうように、おのずと自分を恥ずかしいと思う気が起り、まことの道心も起こることになるのだ。)と言っています。

この時大切なことは、モラルとは切り離して伝えること。相手が悪い、こちらが正しい、あるいは逆もしかりで、善悪の判断を持ち出さずに、パワーゲームもせずに、客観的に伝えましょう。これはする側に大いなる辛抱と忍耐が必要ですから、すべてのケースで実践はできません。しかし、どうしても伝えたいことがある時、相手に心から理解してもらう必要がある時、あるいは相手に本当に変わってもらいたいという時には、“霧雨の理論”が最も有効だといえましょう。

 

読後チェック

①ASCHの実験とはどのような内容の実験ですか?

②世の中から偏見がなくならないのは、なぜだと思いますか?

③相手にどうしても理解してもらいたい時、どんな態度が有効ですか?

 

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