わたしたちは自分というものを本当に認識しているか?

2018年06月04日(月)一般教養 

「わたしはわたしが一番よくわかっている」とよく聞きますが、本当でしょうか?わたしたちは自分というものを本当に認識しているでしょうか?今日はこの点について考えてみましょう。

 

文化文明が育てる偏見

私達が自分というものをどれだけ本当に認識しているか、ということですが、文化文明や環境の作り出した部分と自分の本質というものを判別するのは明らかではありません。  

例えば、外国語と言うものとその文化・文明とは不可分のもので、たとえにこんなフランス語文があるとします。  

 "La belle porte le masque."  

これを見て、「美しい人がそのマスクをつけている」と読むべきか、「きれいな扉がそれを隠している」と読むべきかは、コンテクストなしには判断できません。

   

お釈迦様が菩提樹の木の下で悟りを開かれたと言う話は有名です。この話から、菩提樹と言うのは何か特別なインスピレーションを誘う特別な木だと思っている日本人は多いと思うのですが、お釈迦様が生まれた国のインド人にとっては、菩提樹など街中にいくらでも生えている木であり、彼らにとってなんら特別な意味がないらしいということです。これはインドに仏教徒が少ないからでしょうか?    

 

こんな具合でわれわれは自分が生まれ育った環境の文化文明が育ててくれた(?)偏見や先入観から逃れることはできないのです。しかし、この先入観や偏見がわれわれの人生を生きていくうえでの座標となり、それなくしてはわれわれの感性も思考もありえないのですから、偏見や先入観を持つこと自体を否定してはならないでしょう。    

 歴史上の大天才の、モーツアルト・バッハ・ガウス・道元と言えども、彼らの言葉を読んでいると、生まれた時代や環境を超越してはいないのです。  

 

Attribution Theory 帰属理論

次の写真を見てみましょう。

 

この写真を見て、皆さんは何を思いましたか? 

(1)皆さんがちょうど地下鉄の中ですりに会った後ならば、これは自動車ドロボーだと思うかもしれません。  

(2)お天気のよい日曜日に庭でおいしいワインで昼を気の会う友人たちと食べた後ならば、"ははは、どじな男が車の中に鍵を入れたまま扉を閉めてしまって困っているな"と笑うかもしれません。  

ですが、この写真の男性が黒人の場合、多くの人が「自動車ドロボーだと思う」という社会心理学の結果がでています。  

 

アメリカで警官による黒人の人々の射殺事件が問題になっていますね。警官によっては意識的に黒人差別や悪意を抱いていた人がいるかもしれませんが、アメリカ文化の無意識の根深い偏見、そこから生じる認識⇒不安が関係している可能性が高くあります。

   

これは、社会心理学のattribution theory(帰属理論)と言われます。何かをわたしたちが認知する時、その原因や特性を無意識的にも意識的にも推論します。その過程の中で、社会や文化の常識や偏見が真実とは異なる解釈をもたらす可能性があるのです。

例えば、部下があくびをしているのを見て

「彼は残業して寝不足で疲れている、最近頑張っているな。」

と思う上司もいれば、

「あくびなんかして、最近たるんでいる、気合が入っていない、これだから最近の若い奴は」

と思う人もいます。

その部下との人間関係や、その部下を普段どのように評価しているかにもよりますし、その普段の評価自体も自分の推論で価値判断していることが多くあるのです。

よく家庭で不愉快な夫婦喧嘩をした後の裁判官の判決は厳しく出る、と言われます。もっと教養があり自己弁護の能力が高くあれば、重罪を免れたといわれる犯人もいます。

神ではない人間の認識、認知、それをもとに下される判断は、どれだけ真実の姿をとらえられるのでしょうか?それは、他者に対しても、自分自身に対する認識についても危ういものがあるといえましょう。

 

人間と偏見

われわれは偏見の塊なのです。それはかなりの程度われわれの文化文明の存在の本質にかかわることですから、偏見がないなどと言い張るよりも、自分が持っている偏見、わたしにはこうした傾向がある、と自覚することのほうがよっぽど大切です。  

 

すでに8-9ヶ月の赤ちゃんが先入観に従って反応すると言う研究もあるくらいですから。しかし、幸いなことにこの先入観や偏見は、大変扱いやすいものらしく、われわれが自分の偏見や先入観をはっきりと自覚して修正しようとすれば、比較的簡単にできるということです。  

この辺の研究をハーバード大学の研究室でやっていて、下記のサイトに興味深いテストがあるので皆さんもやって見られることをお勧めします。https://implicit.harvard.edu/implicit/

 

科学が発展する前から、わたしたちの先人はこうしたことを直感的にわかっておりました。

「荘子」の中の「魍魎と影」と言う一節で次のように書かれています。

魍魎とは、影の外縁に出来る薄い影のことです。この影のそのまた影とも言える魍魎が影を批判して、影は歩いているかと思えば立ち止まり、座っていたかと思えば立ち上がる。どうしてそんなに自主性のない行動をするんだ、と言う批判です。   すると影が魍魎に答えて言います。  

お前は、俺が主人の動くなりになって動くからといって非難するが、ほんとうにそうなのかねえ。おれの主人にしたところで、果たして自分の意思で動いているのかどうか。もしかすると、やはり何か他のものに動かされているのであって、実は形はあっても抜け殻同然のものかもしれないよ。 我々には、何故自分が動くのか分かりっこないんだよ。  

 

読後チェック

①偏見に対してどのような態度が求められますか?

②「荘子」の「魍魎と影」の話からどんな教訓が得られますか?



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